大人の弘道館2(6)

「奇跡を起こす学」

-2つの甲子園優勝校に学ぶ”必然”-

オンデマンド講座(フルバージョン)
 
40分版

  • 講師
    • 百﨑 敏克 先生(元佐賀県立佐賀北高等学校 野球部監督)
    • 峯 謙介 先生(元佐賀県立佐賀商業高等学校 野球部・投手)
  • 日時:2024年9月21日(日)
  • 会場:SAGAアリーナ・スイートラウンジ

講座レポート

今回は、第6弾となる大人の弘道館2でテーマは「奇跡を起こす学」。講師にお迎えしたのは、1994年と2007年に夏の甲子園優勝を果たした佐賀商業高・元ピッチャーの峯謙介先生と佐賀北高校・元監督の百﨑敏克先生です。“奇跡”とも称された、ドラマチックな試合展開に熱狂し、感動した佐賀県民はきっと多いはず。会場に集まったのは、リアルタイムで試合を観戦していた世代や野球好きの方、これからの人生で“奇跡”を起こしたいという方まで様々。当日は台風の影響で天気が悪いなかでも約50名が来場され、オンラインでは多くの方に視聴いただきました。

実は、普通の公立高校が優勝!というだけでなく、両校には秋の県内大会で初戦敗退、甲子園では開幕試合、決勝戦では逆転の満塁ホームランで優勝など、いくつもの共通点がありました。偶然が重なった奇跡のような優勝でしたが、実はいくつもの伏線があり、起こるべくして起こった奇跡だったのです。知られざる優勝の裏側を、選手と監督の立場からそれぞれに語っていただきます。

まずは、1994年に優勝した佐賀商業高のピッチャーで、全6試合を一人で投げ抜いた峯先生(当時は高校2年生)のお話です。映像や資料で30年前を振り返り、優勝できた理由の一つにあげたのは先輩・後輩という年功序列の人間関係をなくしたことでした。
「当時は先輩の言うことは絶対!という時代。そんななか、“甲子園出場”という同じ目標を持つチームに先輩後輩は関係ないからと、当時のキャプテンが中心になって年功序列をなくしました」と峯先生。例えば、試合に出る1年生や2年生に対して、試合に出ない3年生が飲み水やおしぼりを用意するなど率先してサポートにまわったそう。その結果、下級生でも意見が言いやすくなり、お互いに冗談を言って笑い合える明るさがチームに生まれました。「甲子園に出場して先輩たちに恩返ししたい!」と下級生たちが願うのも、自然な流れだったかもしれません。

もう一つは、佐賀商業高OBだった香田誉士史さん(後に駒大苫小牧高の監督として甲子園優勝2連覇を達成)がコーチとして指導してくれたこと。相手チームをとことん分析し、当時の高校野球ではほとんど取り入れられていなかった新しい戦術を取り入れたことで、救われた瞬間がいくつもあったそう。私たちが、ラッキーな展開でピンチを切り抜けたと思っていたシーンも、実は結果を予測した行動だったと聞いて驚きました。

そして、なによりも大きかったのは田中公士監督の存在。
「野球人である前に、人としてしっかり人間力をつけなさいと日々言われました。そして、学生として人として、当たり前のことを当たり前にやるのではなく、当たり前のことを素晴らしくやれと。自分自身がぶれないように、自分に負けるなというメッセージだったと解釈しています」。恩師である田中先生の教えは、自らも指導者となり、ひらまつ病院軟式野球部やSAGA2024軟式野球競技佐賀県チームを率いる峯先生の礎にもなっています。

続いては、2007年に優勝した佐賀北高元監督の百﨑先生のお話で、当時の快進撃は「がばい旋風」という言葉が流行るほど注目されました。百﨑先生は、佐賀北高の監督に就任した際、すでに佐賀東高校で部長として、神埼高校では監督として甲子園出場を経験していて、初対面の生徒たちに対し「大きな目標は甲子園優勝、中くらいはベスト8、小さな目標は甲子園出場」と宣言。それを実現するために、野球日誌をつけること、靴を揃えることを徹底させました。
「生徒たちの日誌には必ず返事を書いていました。メモすることは記憶の鎖で、自分を見つめ直す時間になります。靴を揃えさせたのは、一つのことが継続できたら他のこともできるようになるからです」。

百﨑先生は、母校でもある佐賀北高での選手時代、県ベスト4止まりで甲子園を遠く感じていたそう。だったら監督として甲子園を目指そう!と、教員になったもののその道のりは決して平坦ではありませんでした。指導者としてのキャリアを重ねつつも、なかなか勝てずに「自分はもうダメだ。野球部がない学校に赴任したい」と思った時期もあったといいます。転機になったのは、ある練習試合に参加したとき、3アウトを取っただけなのにまるで優勝したかのように盛り上がるチームに出会ったこと。チームを知らなくても、思わず応援したくなるような雰囲気に「これだ!」と直感。応援されるチーム作りを進めると、徐々に結果があらわれ始めました。 春夏連続で甲子園出場を果たした神埼高校の監督時代には、試合をみた高校野球ファンの作詞家・阿久悠さんが「最も高校野球チームらしく、最も高校野球を大切にする心と体のチーム」だと賛辞する詩(甲子園の詩「天才もいいけれど」)を書き、スポーツ紙に掲載されました。

「京セラの創業者で、経営の神様と言われた稲盛和夫さんが、人生が成功する方程式として“人生の結果=能力×熱意×考え方“を提唱しています。考え方にはマイナス100からプラス100まであり、もしもマイナス思考ならいくら素質があっても、どんなに努力しても結果はだめになる。劣勢のときこそ、どれだけプラス思考でいられるかが大切なんです」と百﨑先生。「失敗しないで成功した人はいない。僕もずっと失敗の繰り返しで、そういう屈辱とか挫折とかが次のステップにつながると思っています」と語ってくれました。

二人のお話を聞き終えたところで、講座のファシリテーターを務める倉成英俊さんが、さらに深掘りしていきます。実は今回、さまざまな資料や文献を読み解き「奇跡が起こるエッセンス」として5つのキーワードを導きだした倉成さん。①目標を公言する②他のチームにはない工夫をする③外からの情報を得る④点が全部線につながった時に奇跡が起こる⑤応援されるチームになる、それぞれのキーワードにそったエピソードをお二人から引き出していきました。

あっという間に講座も終盤となり、恒例の佐賀弁メッセージの時間です。

「自分の夢とか目標に向かって、失敗は恐れんでチャレンジしんしゃい。そのためには行動と目的が大事」(峯先生)

「がばい、はがいか(悔しい)思いをいっぱいしんしゃい。それからしか、いい結果は生まれない」(百﨑先生)

全国制覇を成し遂げたエースと指揮官が、奇跡の裏側を惜しみなく話してくれたことで会場の皆さんも大満足。峯先生が優勝した年に生まれたという受講生の江頭浩平さんは、「高校まで野球をやっていたので、お二人のことはよく知っていました。自分がイメージしていたことと、お二人の考えが合致したのが嬉しかったです。野球だけでなく、会社でのチームビルディングにも活かせるお話がたくさんありました」と感想を語ってくれました。

無事講座を終えた講師のお二人にも、感想をお聞きしました。

「30年前の優勝を深掘りするという貴重な機会をいただきました。いろんなものを改めて読み直したりもして、当時の自分では気づかなかったことなど、改めて振り返ることができました。ありがとうございました」(峯先生)

「こういう形での講演は初めてでしたが、リラックスして皆さんと一緒に楽しめました。指導者として40年以上やってきたけど、甲子園にたどり着かないことがほとんどだった。結果だけ追い求めたら、何のために野球をしているか分からなくなってきます。甲子園は目標であって目的ではない。目指していく過程が大事なんです」(百﨑先生)

スポーツも人生も筋書のないドラマ。予測できないことばかりで、もしかしたら奇跡だって起こるかもしれません。でも、起きるのをただ待つのではなく、夢を叶える種を散りばめていきましょう。積み重ねてきた努力や工夫、熱い思いや前向きな考えは、きっといつか花開き、奇跡を起こすはずだから。

 

講師プロフィール

百﨑 敏克(ももざき・としかつ)

佐賀北高校野球部で主将、中堅手として活躍。大学時代は野球部に所属せず、卒業後、1980年佐賀農芸高校(現:高志館高校)に赴任、野球部監督就任。1994年から神埼高校で野球部監督を務め、2001年に春夏連続甲子園出場。2004年から佐賀北高校野球部監督。2007年夏に全国制覇に導く。現在は、佐賀北高校野球部アドバイザー。

峯 謙介(みね・けんすけ)

佐賀商業高校2年時の1994年夏に甲子園出場を果たし全国制覇。1996年よりJR九州で4年間プレーし、2002年ひらまつ病院に入社後、軟式野球部で37歳までプレー。少年野球の監督や中学硬式野球部コーチを務め、2023年ひらまつ病院野球部コーチに就任。SAGA2024国スポでは、軟式野球競技ヘッドコーチも務める。現在、医療法人ひらまつ病院 広報部長。